3/12(震災翌日)

 

前日の疲れからか朝は10時近くに起床。

朝食は家族へのお土産として買っていた牛タン弁当を頂くことに。

そして帰宅まで長期戦となることも考え、近くのスーパーに食糧や下着等の衣類を買いに出撃。

 
スーパーの店内もそこかしこで天井が剥がれ落ちていたり、ガラスが割れたりと大変そうでした。
 

昼食を早めにとったものの朝食が遅かった上、揚げ物を食べすぎたせいか胃もたれ気味だったので散歩へ。

 
原ノ町駅周辺にて
 
原ノ町駅構内を見渡す。
 
跨線橋から構内を見渡していると海側の方向で大気が2層に分かれているのを目撃。
気味が悪いのでホテルへ引き返すことに。
 

ホテルへ引き返すとホテルの方が避難所に連れて行ってくれるとのことで一時的に避難所へ。

 
南相馬市役所前にて

この機動車の他にも自衛隊のトラックが連なっており“日常”ではないことを実感。
 

そして指定避難所となっている“サンライフ南相馬”に到着。

 
支援物資の受け付けが始まっていました。
 
まだ誰もいませんでしたが、よくテレビの画面越しに見ていたような“避難所”がまさに目の前に。
 

暇だったので避難所の表をうろついていると16時頃、急に市の防災無線が鳴り始めたので「なんぞや」と思うと「県警ヘリが原発が爆発したのを目撃」との第一報が。

防災無線の内容は当時メモしていたままを記すと以下の通りです

『こちらは防災南相馬広報です。 只今、福島第一原子力発電所にて爆発の後、白煙が立ち上るのを県警ヘリが目撃しました。屋外にいる方は速やかに屋内に退去し、屋外には絶対に出ないようにし、窓は締め切って下さい。』

東電と国曰く『未確認』ということで、30分ほど後に再び防災無線でこの内容が“誤報”であると伝えられたのですが実際は“真実”だったんですよね
もっと早くこの“真実”を伝えていたならば被曝者はより少なくなっていたはずだと思われます。


ともあれこの当時はこれで一安心し夕食の避難食が出ると言うことで頂くことに。

 
避難食と言うからにはパンとかそういうものだと思っていると予想を上回るあったかい仕出し弁当が。
写真にはありませんがミカンなどのデザートも付いていました
 

そして夕方になりホテルに戻ることにし、ホテルで一夜を明かそうと思っていたものの、やはり先ほどの“原発爆発”が頭から離れず不安であった為、関東にいる知人からの道のアドバイスを貰い、タクシーの運転手さんと交渉し福島へ向かうことに。

途中福島へ向かっている最中、ラジオに耳を傾けていると臨時ニュースが入り、「原発が“やはり”爆発している」とのこと。虫の知らせって実際にあるものなんですね。

因みに福島までのコースは

国道12号→国道349号→国道114号→富岡街道(旧国道114号?)→国道114号

だったと思います。

特に国道114号はガソリンスタンド町などで渋滞が激しかったものの、タクシーの運転手さんが同僚からのアドバイスで旧道を通った為、割とスムーズに移動できました。

また途中の国道349号と国道114号の交差点の角に避難所に指定されていた川俣南小学校があり、当時多くの車と避難者をそこで目撃したのですが、後に自宅に帰りニュースでこの小学校に避難した人の多くが深夜〜早朝にかけて被爆したと聞き衝撃的でした。

そして午後6時半、南相馬から2時間、当時はそれ以上に感じていましたが、福島にあるホテルに到着。

ロビーのテレビではひたすらに原発事故のニュースを映しだしていましたが、こんな事故が自分のいるすぐそばで起きていたとは今でも信じられません。

 
福島ビューホテルにて

こちらのホテルでは出張などで福島に滞在していた帰宅困難者の人々にロビーを開放していました。
 

そしてこのホテルで一夜を過ごしました。

 

Part4では震災3日目の様子を取り上げます。

それではPart4

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